日本比較政治学会奨励賞 選評
受賞作:中井遼「選挙と政党政治はどのようなナショナリズムを強めるのか――ラトヴィア総選挙前後サーベイ調査から――」(『日本比較政治学会年報第21号』、2019年、pp. 107-134)
本論文は、選挙とナショナリズム意識の関係を、著者がラトヴィアで実施した独自の世論調査データに基づいて分析した意欲作である。
著者によれば、選挙は有権者がナショナリズムやアイデンティティといった争点顕現性(Saliency)と選好(Preference)の両方に影響を与えることが先行研究において明らかにされている。しかし先行研究には、以下の三つの限界がある。第一に、ナショナリズムという多様性や複数性をはらむ概念の特定の側面にしか注目していない。第二に、実証分析によって得られた知見が他の地域でどこまで当てはまるのか(「外的妥当性」)について、なお十分な検証がなされていない。第三に、先行研究では数年おきに実施される世論調査を利用した中期的な変化しかみていない。
このように先行研究の問題点や課題を整理したうえで、著者は、ナショナリズムを「愛国主義」・「排外主義」・「純化主義」という三つの要素に分け、それぞれの要素に選挙が与える影響を、月単位で実施したサーベイデータによって精確に剔出しようとする。著者によれば、ラトヴィアにおいては、そもそもアイデンティティ政治の争点顕現性が高く、選好ははっきりと確立しており、そのような状況下でもなお選挙が国民意識の水準に影響を与えるとすれば、他の国でも同様の現象が観察できるであろうと推測される。
2014 年と2018 年の総選挙時に、それぞれ数カ月にわたり実施した世論調査データを分析した結果、著者は、選挙時にはナショナル・プライドと多文化主義への寛容性の高まりが確認できるとする。しかし分析対象サンプルを多数派(ラトヴィア系)と少数派(ロシア語系)に分けると、こうした傾向は多数派のみに限られることがわかる。さらに二つの傾向は政治的関心の高低によって違いがみられ、実は選挙が近づくと、政治的関心の高い層が反多文化主義的傾向を弱め、政治的関心の低い層がナショナル・プライドの高揚を示すこととがわかる。
ナショナリズム概念を三要素に分けて操作化し、ラトヴィアで独自の調査を行い、統計的手法によって選挙とナショナリズム意識との関係を明らかにしようとする本論文は、今回の候補作のなかで最も完成度の高いものと評価される。とはいえ、いくつかの課題・疑問点も指摘された。第一に、分析結果の解釈において重要な「政治関心の高低」の測定方法が必ずしも明確にされていない。第二に、選挙がナショナリズムの下位要素のそれぞれにどのような経路で影響をあたえるのかについて、十分な理論化がなされていない。第三に、選挙という短期的なイベントが与えるナショナリズムへの影響が長期的にはどのような政治的意味を持つのかという疑問も聞かれた。最後の点は、今後の研究の発展に対する期待・要望である。
以上、いくつかの問題点はあるものの、本論文が、先行研究を踏まえ、ナショナリズム意識の高揚と選挙との関係を一層厳密に研究する一つの可能性を切り開いたことの学術的意義は高い。また、ラトヴィアの政治的文脈に対する深い理解および独自調査によって得られたデータに基づいた分析が行われている点も、高く評価される。本論文は、ナショナリズムという政治学にとって「古く、かつ新しい」、そして近年その重要性をますます高めているテーマに果敢に取り組み、新たな研究の地平を切り開いたものと認められる。
2020年5月
日本比較政治学会・奨励賞選考委員会