2016年6月25日-26日[於 京都産業大学 壬生校地]
「小選挙区制は二党制を好む」というモリス・デュヴェルジェの言明は、政治学における数少ない「法則」として広く知られ、小選挙区制下における二大政党の競争は、デモクラシーの主要な類型の一つと考えられてきた。しかし、その代表例とされてきたアメリカでは分割政府がほぼ常態化し、二大政党のイデオロギー的分極化によって政府の膠着状態が深刻視されるようになっており、イギリスでも第三党の伸長と連立政権が観察されるようになっている。
デュヴェルジェの法則はあくまでも選挙区レベルについてのものであり、小選挙区制が二大政党制につながるとは限らないことは、インド等の例にも示されているし、同法則は効率的な統治を保証するわけでもない。とはいえ、この法則が長い間、政党システムの形態のみならず多数決主義的な政治過程についてある種の原イメージを提供してきたのも事実であろう。例えば、日本で選挙制度改革を通じて目指され、民主党政権の誕生によって実現が期待されたのは、そうした政治だったのではないだろうか。
英米の現況は、こうした「デュヴェルジェ的」な政治からの「逸脱」を超えた域に達しつつあるようにもみえる。そこで本パネルでは、この両国およびそれらと同様に、1990年代以来政党制のあり方がめまぐるしく変化してきたカナダを主な題材に、日本への示唆も意識しつつ、「デュヴェルジェ後」の二大政党制諸国の新たな政治像を描きだす必要性と可能性を議論したい。
政党政治に対するマクロ的なアプローチに対して、主に1980年代以降、ミクロ的視点からの検討が積み重ねられている。特に、選挙区別の得票データの分析だけでなく、議員の離党・入党行動、政策ポジションの変遷を通じたマクロなシステム変動を射程に入れた議論も展開されている。このように、理論的には日本を事例としつつ、マクロとミクロの接合の可能性を検討することを意図している。
他方、日本の政党政治は選挙制度改革をはじめとする統治機構改革を経て、どのような特質を有するシステムになっているのか。どのようなメカニズムを有するシステムの中に議員、政党は存在し、行動していると考えられるのか。これらの理解に資する企画になればと考える。
本パネルは、ラテンアメリカにおける民主主義の諸相を、議会、選挙、社会運動、メディアを通じて探究するものである。本パネルを構成する3報告は、ラテンアメリカの民主主義にとって重要な問いを取り上げるものではあるだけでなく、いずれも比較政治学の中心的な関心となってきた政治制度や政治行動に焦点を当てるものであり、議会での法案審議、個人レベルのサーベイ、クロス・ナショナル・データといった多様な経験的データに基づく実証研究である。(使用言語はすべて英語、ただしフロアからの質疑では日本語でもご質問いただけます)。
ハンチントンの『文明の衝突』が著されてから20年、冷戦の崩壊から25年、異なる文化集団の軋轢と角逐の問題は、比較政治学で大きな発展を遂げた分野の一つである。移民問題や民族問題、その背景にある宗派・人種・言語(すなわちエスニシティ)をめぐる問題の検討は、かつては社会学や文化人類学の専売特許であったが、これらの社会問題に対応する諸政策の分析への関心が、世界で広く拡大するにつれて、自然と政治学(比較政治学)においても大きく取り扱われる分野へと発展した。関心と研究の拡大・発展は、政策領域や地域ごとの研究蓄積の専門化を著しく進展させてきた。
だが、個々の細分化された領域での研究蓄積のみならず、より大きな枠組みでの比較検討は常になされる必要があるし、また個々の研究にも生産的なフィードバックをもたらすことが期待される。先述の問題を大きく一般化すれば、異なるエスニック・グループに対して採られる諸政策が、国内政治過程においてどのように生み出されるのか、あるいは、どのような要因が影響を与えているのか、といった広く比較可能性のある問題であることがわかる。
そこで本企画では、地域も、政策領域も、背景の政治体制もことなる事例を対象として、これらエスニシティを巡る諸政策が、国内政治過程においてどのように規定されているのか比較検討する。包摂と排斥はいかなる政治アクターの、どのような利害・戦略・影響により左右されるのだろうか。特に、政党の影響力に関心を払いつつも、国内政治過程全般に着目しつつ、これらエスニシティをめぐる諸政策が規定されるメカニズムを検討する。
権威主義体制のロシア、民主化が順調に進むインドネシア、民主化が頓挫するタイという対照的な3つの事例を取り上げて、政治の司法化と民主化の関係について考える。ロシアでは権威主義体制が司法化を抑制している。インドネシアでは民主化が進むにつれて、司法化が制度面で整備され、司法化が民主化を助ける要因となっている。最後に、タイは「保険モデル」や「覇権維持モデル」の典型的な事例であり、民主化に踏み出す時に旧エリートが選挙政治への防波堤として整えた司法化の制度が作動している。なお、司法化研究では憲法裁判所に脚光が当てられることが多いが、ここではそれ以外の司法機関が果たす役割にも目を配る。
ヨーロッパやアジアの主な国々を見たとき、最近の顕著な特徴として、保守政党の復権を指摘することができる。1990年代後半以降、中道左派勢力の台頭とも言える時代潮流の変化の中で、イギリス、ドイツ、フランス、韓国、日本など、保守政党が長らく政権政党の地位を維持していた国々において、保守政党は対抗政党に選挙で敗北し、下野せざるをえなかった。しかし、その後、これらの保守政党は選挙で再び勝利して政権政党に返り咲くことに成功し、その後再び政権離脱を経験した国でも、野党第一党の座を確保している。本企画は、中道左派勢力が弱体化し、逆に「保守復権の時代」とも言うべき状況下での保守勢力を比較考察することにある。
分析対象となるのは、2000年代半ば以降の保守政党であるが、比較に際しての共通の視座として、次の3点に着目したい。すなわち、(1)党の運営、(2)党の政策・路線、(3)党と社会の関係である。(1)党の運営については、党内リーダーへの集権化が、所謂「政治の人格化」との関連において比較考察される。(2)党の政策・路線については、福祉政策を中心に、中道左派に対抗するどのような政策・理念を打ち出し、政策革新を展開しているかを明らかにしたい。(3)党と社会関係については、従来の支持層から離れて、新たな支持層の獲得にどの程度成功しているかが論点になる。その際、近年の政治動向の重要なポイントである、右翼ポピュリズム政党の台頭が保守政党の支持基盤・政策にどのような影響を与えているのかに着目したい。
本企画では、報告者だけでなく討論者によるコメントも踏まえて、ヨーロッパの保守政党だけでなく、日本や韓国の保守政党をも比較の対象としている。上記3つの観点において保守政党の「革新」と「保守性」を浮き彫りにし、そうした作業を通じて、保守復権の時代とも言える政党政治の問題状況を比較検討したい。
選挙が定期的に行われ、多くの場合には複数政党がそれに参加しているにもかかわらず、特定の政党や政治指導者の権力独占が続く政治体制は、競争的権威主義体制と呼ばれることがある。一方において民主主義体制とは異なり、権力独占が自由で公正な選挙の帰結ではなく、政治的資源の不当な偏在や政治的自由の制限などを通じて行われているが、他方では通常の権威主義体制とも異なり、選挙や複数政党制といった制度装置は曲がりなりにも存在することが、競争的権威主義体制の最大の特徴である。
このような体制は長続きせず、権威主義から民主主義への移行期か、あるいは非民主主義体制への回帰に際して、短期間見られるものに過ぎないという見解は、古くから存在する。しかし近年では、競争的権威主義体制の意外なまでの安定性に注目し、安定の理由や体制としての特徴を明らかにしようとする研究も増えている。競争的権威主義体制分析は、今日の比較政治学のフロンティアの1つだといえるだろう。
本共通論題では、このような近年の研究潮流に棹さすべく、競争的権威主義体制を単なる過渡的あるいは雑種的な体制類型としてではなく、独自のロジックを持った体制として位置づけながら、その安定性と不安定性について経験的な分析を加えることを目的とする。
欧米だけでなく、東南アジアでもLGBT と呼ばれる性的マイノリティをめぐるイシューが、市民的自由、実質的民主主義、市民社会のヘゲモニー、政治体制の正統性をめぐる新たな政治闘争の領域となりつつある。
タイでは2012年にトランスジェンダーの地方議員が当選し、インドネシアではトランスジェンダー団体がジョコウィ大統領候補を支持する選挙運動を展開し、ベトナムでは2015年に同性婚が事実上容認された。シンガポールでも、3万人近い人びとの集会が毎年開催されている。だが、ブルネイやマレーシアのように、政府がシャリア法の制定や官制キャンペーンによる抑圧を強めている国もある。またマレーシアやフィリピンでは、イスラーム教やカトリック教の影響下で市民社会における宗教的・道徳的反発も根強い。
興味深いことに、こうした性的マイノリティのイシューをめぐる差異は、政治体制や宗教、市民運動の活性度の違いからだけでは必ずしも説明できない。たとえば抑圧的な体制で進歩的な政策がとられることがあれば、民主的な体制のもとで同姓婚の合法化や反差別法の制定を求める社会運動が頓挫し続けることもある。そこで本分科会では、東南アジアにおける政治体制と宗教の多様性を念頭に置きつつ、性的マイノリティのイシューをめぐって、なぜ各国で異なる政治過程と帰結が生じているのかを比較検討し、それぞれの民主主義の質的特徴を明らかにしたい。
近年、日本の政治学において政治学方法論の教科書や、アメリカの政治学方法論の研究書の翻訳が相次いで出版されるなど、研究手法への関心が高まってきている。計量分析では、因果推論の精緻化が進み、実験をはじめとするより厳密な手法が広まりつつある。一方、長年計量分析方法論からのある種の批判にさらされ続けてきた定性分析もその独自の方法論を確立しつつある。
こうした定性分析と計量分析の方法論はどのような点で異なるのであろうか。それぞれの長所および短所は何なのか。本分科会では、こうした問題について、定性分析、計量分析、あるいは両者を橋渡しする立場からの研究報告を通じて検討したい。
本企画の目的は、1990年代以降のスウェーデン、イギリス、韓国における福祉改革と日本との比較分析を通じ、新自由主義と福祉政治の今日的な位相を明らかにすることにある。新自由主義は再分配や平等といった伝統的な福祉国家の価値観に対して、1980年代以降急速に正統性を獲得してきた。程度の差はあれ、各国は福祉給付の条件化や給付対象の限定、サービス供給体制の民営化という新自由主義的な手法を用いてきたが、それは必ずしも新自由主義的な価値観の全面的な受け入れや、一元的な展開を意味するわけではない。1990年代後半以降は格差や貧困の拡大といった新自由主義改革が生み出す負の影響の顕在化に伴い、福祉国家の制度だけでなく理念の再構築も課題化している。その際、新自由主義の多様な形態での発露に対し、各国の福祉政治がいかに変容し、それをどう捉えるのかは福祉レジームを問わず重要となっている。
そこで本企画では、スウェーデン、イギリス、韓国という異なる福祉レジームに属する国と日本の比較を通じ、1990年代以降、それぞれどういった政治勢力が、どのような論理を用いて新自由主義を福祉国家再編の動きの中に位置づけてきたのかを明らかにする。家族政策・就労支援政策・年金政策を取り上げることで、政策領域を問わず新自由主義の影響を受けた改革が進展している一方、それに対抗する包括的な理念や制度構築を目指す動きの展開と要因を考察する。そうすることで日本の社会保障・福祉国家の制度的展望への視座を得たいと考える。本企画を通じて、ポスト新自由主義下における福祉国家再編の政治がどのように現れているのかについて明らかにするとともに、福祉国家研究の新たな理論構築に向けてひとつの示唆を提供したい。
なお、本企画は日本学術会議(政治学委員会比較政治分科会)との共催企画となる予定である。